第六感

今年の我が家は、花火大会を中継映像で楽しんだ。

公式でも各局でもライブ配信をしていて、高解像度で観れたり、

ヘリからやドローンからの映像を流すところもある、良い時代だ。

 

こどもたちが小さい頃から、毎年会場近くまで観に行っていたので、

花火の映像を観るだけで、その感覚が思い起こされる。

ドン!と胸に刺さる衝撃音、会場の歓声と拍手、汗ばむ蒸し暑さ、浴衣の着心地と下駄の感覚、帰りの薄暗い道のりや、流れる人混み、街の浮かれた景色…

それらは経験したことがあるからこそ思い起こされるもので、

配信だけ観ていては、全く感じ得なかったもの。

 

人には、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感があると言われているが、

花火の体験からして、五感とは別の感覚がある気がする。

第六感と言ってしまうと、何か霊的だったり予知能力的なイメージがあるけれど、

人から発する微弱な電気だったり磁気だったりを感じる力のことも指すらしい。

気配を感じる力のようなものも含まれるだろうか。

つまり、体全体でまとうように感じ取る感覚だ。

 

例えば、実際に人と会うのと、オンラインだけで人と話すのとでは、

後者の方が、感じる情報量が圧倒的に少ない。

触れたりせずとも、温もりやオーラ的な人となりなど、何か感じとるものがあるのだ。

面接する時など、オンラインだけで成立しているのは、

おそらく、花火の記憶のように、自分の中にある、人と会った時の数々のデータの中から、似た感覚を呼び起こしているに過ぎない。

印象は掴めても、体にまとうように感じる情報は少ない。

幼いこどもなんて、情報量が圧倒的に少ないのではないだろうか。

 

人はやはり、体験し、交流し、五感、六感を働かせて生きて行かなければ、

いわゆる「人を見る目」という感覚も育み切れないまま、退化していくのではないだろうか。

リアルな経験というのは、非常に大事なんだと思う。

もちろんデータ化されることも、バーチャル化されることも、さらにはAI化されることも、

有意義な点はいっぱいあるし、日々助けられ、楽しませてもらっている。

しかしこんな広い地球に生まれたのだから、それらだけではなく、

年老いた頃には、地球を感じて生きる、くらいの仙人のような感覚も、併せ持ちたいものだ。