高1秋

娘が苦しんでいる。
クラスのこと、部活のこと、活動のこと、将来のこと。
おそらく恋愛や家族のことも悩んだりしているだろう。

出来るだけ寄り添って話を聞くが、彼女は一度スイッチが入ると、立ち直るまでに膨大な時間がかかる。
数時間床に座り込んだりふて寝したり、深夜になって行動を開始したりするので、やるべき課題や行動が後回しになり、挙句、睡眠不足、遅刻。心身ともに悪循環に陥る。
これはいくら言ったところで変えられないし、口うるさく言うことで状況は悪化するため、充分に落ち込み切るまで見守るしかない。
そして愚痴を聞いている側としては、何を言っても前向きにならず、ひたすら落ち込みが続くので、
なかなかメンタルを削られるのだ。

そこまでではないが、彼女は私に似ている。
だからこそ理解できる部分もあれば、自分を見ているかのように苛立つ部分もある。

そしてそれは娘からも言えることである。
そんな彼女に苛立つことなく寄り添えるのは夫だ。
なんせ彼女は私に似ているのだから。

流石こんな私にも面倒がらずにずっと寄り添ってくれている夫である。救われる。


そして彼女は賢い。色々深く掘り下げて考える。
だからきっと、私より色々考えを巡らせている。考えすぎるのだ。優しすぎるのだ。
逆に、彼女は俯瞰するのが苦手だ。

クラスの子が、ずっと誰かの陰口を叩いているのがしんどい、時折自分がターゲットになるのも辛い、と毎日のように嘆いているが、
自分も家族や友人の輪の中で、同じようなことをしてしまっていると気づいているだろうか。

そしてきっと本人は、自分の悲壮感がどれだけ周りも引きずり込んでいるかに気づいていない。
彼女は良くも悪くも、人をすごく惹きつける人間なのだ。
自己肯定感さえもう少しあれば、めちゃくちゃ魅力的なのである。
ただその肯定感の低さが、卑屈を増強して、負の要素を引き寄せているように思う。


やんわり伝えているが、それに自分で気付くのは、彼女がもう少し心の成長を遂げた時だと思う。
今は苦しい渦中。
耐えて、考えて、進め。全力で基地となって見守るから。